2017年02月11日
「学問のすすめ」のススメ ~『先生』の不定期ブログ
福澤諭吉がこの本を書き始めたのは明治の4年、37歳
の時でした。
彼は初めこの本を、同郷の小幡篤次郎が中津に
『市学校』を設立するにあたって、小幡氏と共著で小冊子
の形でこの本を出版したのでした。
ところが、これが大いに売れて、結局、明治7年まで次々と
書いたものが何回かに分けて出版されました。
今でいえば、不定期のブログのようなもので彼が思いつく
ままに、日頃考えていたことを書き綴ったものでした。
彼は、この本によって、当時の貧しい日本人に『学問を
すれば豊かになれる』と教えたのです。
また、学問ばかりでなく、彼が今までの日本人が当然だと
思っていたことについて、彼らしいユニークな発想から生まれ
た意外な意見を述べているのも、大きな驚きを持って読まれ
たことでしょう。
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の時でした。
彼は初めこの本を、同郷の小幡篤次郎が中津に
『市学校』を設立するにあたって、小幡氏と共著で小冊子
の形でこの本を出版したのでした。
ところが、これが大いに売れて、結局、明治7年まで次々と
書いたものが何回かに分けて出版されました。
今でいえば、不定期のブログのようなもので彼が思いつく
ままに、日頃考えていたことを書き綴ったものでした。
彼は、この本によって、当時の貧しい日本人に『学問を
すれば豊かになれる』と教えたのです。
また、学問ばかりでなく、彼が今までの日本人が当然だと
思っていたことについて、彼らしいユニークな発想から生まれ
た意外な意見を述べているのも、大きな驚きを持って読まれ
たことでしょう。
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