合格体験記 山下 潤平 君 (京都大学合格)
山下 潤平君(中津南高校出身)
京都大学合格
僕がリトルに初めて来たのは高校3年の5月でした。
当時、学年1位だった一平君(現在東京大学在学中)に
リトルのことを教えてもらいました。
由紀子先生に初めて会ったとき、
「学校の勉強だけで受かると思ってるの?」って言われ、
学校の勉強に頼っていた僕はその後の先生の話を
ポカンとした表情で聞いていました。
由紀子先生の話す内容は、今まで考えたこともないことでしたが、
全て理にかなっていて、納得できました。
遅れて入ってきたGO先生は威圧感があり、彫りの深い顔で、
圧倒されました。
GO先生は学校教育の新しいあり方を提唱していて、
分厚い辞書を引いて単語の意味を調べるような勉強法では
大学入試に間に合わないという意見でした。
分厚い辞書を入れるとカバンが重くなるので、僕はこの考えに賛成でした。
斬新で初めて聞く僕には信じがたい方針でしたが、
どこか信じさせる魔力のようなものがあり、僕は即入塾を決めました。
リトルは英語教育に特化した塾で、今まで英語は
そんなによくありませんでしたが、入塾してから最初の模試で
英語の点数が初めて9割を超えたときはとても嬉しかったし、
リトルに入ってよかったと思いました。
GO 先生は、いつもどうすれば僕たちの英語力をあげられるのかを追求していて、
英語の成績を急速に上げることができたのは、リトルの授業のお陰です。
リトルの授業では事前に英文を読み、その内容についてGO先生が問い、
最後に前回授業でした英文についてテストをするというスタイルです。
リトルの授業に加え、リトルで覚えさせられた英単語も
成績があがった要因のひとつです。
GO先生は「辞書で調べなくてもいいように、英単語をいっぱい覚えろ。」と
いつも口をすっぱく言っています。
GO先生に1週間で英単語帳を覚えろと言われた時は
バッくれようかなと思いました。
GO先生にいつも「一平に追いつけ追い越せ!」と言われたことは
やる気の原動力になりましたが、一方でプレッシャーでもありました。
GO先生は時に難題を出すときもありましたが、
受験マスターのGO先生の言うことを信じてついていけば、
おのずと成績は上がると思って取り組みましたが、
1週間で単語帳を3つも覚えるという難題はさすがに
達成することは出来ませんでした。
僕は高校の文系、理系の選択時に、何となく理系を選びましたが、
いざ自分が受験期を迎えたとき、理系の学部、例えば理学部や工学部、農学部、
薬学部、歯学部、医学部に興味を持つことができず、
文系の学部に進みたいという思いが強くなりました。
しかし、学校は文系に移るいわゆる文転を認めないスタンスだったので、
せめて私立だけは文系で受けさせてくれと頼むと了承を得ることが出来ました。
学校の授業はそつなくこなしていましたが、興味のない学部に進むのは
嫌だったから、数学、化学、物理をないがしろにして、
ずっと日本史、英語の勉強をしていました。
受験は、私立は慶應義塾大学、前期試験は京都大学工学部、
後期試験は九州大学工学部に決定しました。
しかし、私立に落ち、演習をまったくしていなかった理系科目で受ける前期試験は
通るわけもなく、幸い、後期試験は試験科目が英語と数学だけだったから
合格することができました。
浪人か進学かで揺れていましたが、結局進学することにしました。
しかし、心のどこかでは、もし文系で受けていたらどうだったんだろうと
諦めきれない気持ちが募っていました。
京都大学の得点が開示され、自分の英語の得点が7割を超えていたことから、
仮面浪人することを決意しました。
仮面浪人というのは、大学に通いつつ大学受験をする浪人生のことです。
大学生という仮面を被っているという意味あいでそういう名前がついたのだと
思います。
世間的に仮面浪人の成功確率は10%、もしくはそれ以下といわれています。
それは、大学生にはサークルなどの誘惑が多いから
そのような低い値になっていると思います。
でも、僕は自分で決めた以上誘惑には負けないと強く心に決めました。
自分の失敗の原因を省みたとき、英語と日本史はある程度できるところまで
到達していましたが、数学の明らかな演習不足が弱点だということが判明しました。
春から夏休みまで、文系数学の問題集に何回も取り組み、
英語と日本史は力が落ちないように、確認作業を繰り返しました。
夏休みになり、受験生であるにもかかわらず運転免許を取りにも行きました。
同級生に会うのは気まずかったですが、いい気分転換になったと思います。
夏休みということもあり運転免許を短期間で取ることができました。
免許取得後、大学の後期が始まるまでリトルにお世話になりました。
リトルの浪人生や現役生達と切磋琢磨できたことはモチベーションの維持に
つながりました。
大学の後期が始まり、なるべく授業は入れないようにして
仮面浪人を成功させつつ、失敗したときのために
留年しないぐらいの単位を取得することだけにしました。
新しく地理歴史公民の科目の中から1つ教科を選択しないといけなかったので、
僕は歴史に興味があったので世界史をとりました。
世界史は夏休み明けから真剣に勉強し、マーク演習や暗記を繰り返しましたが、
8割を超えることは珍しく、不安な日々が続きました。
勉強のストレスを発散するために、自転車で天神まで行き、
色んな名所をめぐって気分転換したりもしました。
新年があけ、初詣には行くべきかなと思い、太宰府天満宮に行き、お祈りして、
おみくじを引いたところ、大吉が出ました。
学問の欄に、望外の望みならばかなうと書いてあったので一安心して、
センター試験まで勉強に励みました。
センター試験の当日は眠ることができず、一睡もすることもなく
受けることになりました。
緊張で震えが止まらず、気持ち悪くなったので親に電話すると
自然と不安は取れました。
去年のセンター試験はアジア太平洋立命館大学で受けましたが、
今年は福岡県有数の進学校修猷館高校で受けました。
いい校舎でうらやましいと思いました。
センター試験の自己採点は728点という微妙な結果に終わりましたが、
京都大学に出願しました。
センター試験が終わった後に同じ学科の仲のいい友達に仮面浪人であることを
打ち明け、応援してもらい、最後まで頑張りぬく力がわきました。
前期試験は京都大学を受け、名物の折田先生像をみて
リラックスすることが出来ました。
試験終了後は達成感と後悔することがなかったので、合否どちらにせよ、
結果に納得できると思えました。
試験が終わってからはニートのような生活を淡々と繰り返し、
とうとう発表の日を迎えました。
12時に合格発表だったのですが、その日起きたのは12時30分。
寝起きすぐに結果を見てみると自分の受験番号があり、一年間が報われて
非常に嬉しかったです。
仮面浪人は自分を律することができ、一年間孤独でもやり切れる人には
いいかもしれません。
しかし、不合格のときは大学一年間の勉強をふいにすることになり、
華の大学生活を一年間犠牲にすることになりますが、そのリスクを承知で
一生懸命やりぬける人にはおススメですが、おすすめはしません。
最後に、リトルでの出会いはとても貴重なものでした。
笑いの絶えない会話を繰り返し、いろいろなパーティーをしました。
カミさんと阿部君はいつも面白いことを思いつくユーモアに溢れていたし、
僕にリトルを紹介してくれた一平君は頭の回転が速く、いっしょにいて
楽しい人でもあり、ちゃんと自分に必要なことを取捨選択できる人でした。
中津リトルでは本当に楽しい時間を過ごすことができました。
大分リトルのQ先生は印象が強く今でも初めて会ったときを覚えています。
大分リトルも楽しい雰囲気なので、大分市に住んでる人は大分リトルに
見学、入塾することをすすめます。
アットホームな雰囲気で勉強したい人、何をしたらいいか分からないけど
成績を伸ばしたい人、先生の意見を素直に聞き入れ、一生懸命
先生に向かっていける人にはリトルをお勧めします。
リトルはその気持ちにこたえてくれるところです。
リトルに入ったからにはGO先生についていけば成績があがると僕は思います。
二年間お世話になりました。
リトルで勉強することができて本当によかったと今心から思います。
リトルアメリカ教育センター 中津校
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大分校
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