理想的なヌードとは…を真剣に考えた受験生たち ~大学入試の長文から~
さらに続きですが、ヨーロッパのヌードが、人間的な精神の発露だ
ということは、この著者は否定はしないというのです。
しかし、ある人道主義者が理想的なヌードは、ある女性の胸を
持ってきて、手は別の女性から、肩はさらに別の女性のものを
つなぎ合わせると出来上がると主張しているのに対して・・・
この著者は苦言を呈しています。
もし、そのようなことが理想的なヌードというのなら、そこには、
人間の人格など見られないし、ヌードはただの物ではないか。
どこに人道的なものが存在するのかと批判的に述べています。
ようするに、ヌードになっている女性は誰でもいいのであって、
描かれている女性は実在の女性から完全に遊離しているではないか
というのです。
たしかに、ずっと今まで著者はこの主張はこのことを繰り返して
きました。
だから、ヌードがルネッサンス以後の人間的なものの表れである
という人々の主張は認められないというのでしょう。
ヌードを描くことが人間的なものの表れであるかどうかは別にして、
もっとも美しい姿を、一人の女性が持っているということはあり得ま
せんよね。
顔は素晴らしく美しくても、脚線が見事だということは少ないでしょうし、
たとえ両方備えている人がいたとしても、その美人が美しい胸を持って
いるということなど、ほとんど期待できませんよね。
それにしても、このようなことを真剣に考えながら、試験の解答用紙を
埋めて行った受験生たちのことを考えると 「おい、よくやった!」 としか
言えませんね。
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