恋を知り始めたころは…

リトルアメリカ

2017年03月08日 19:49

 小学校のころは、詩の意味がわかっていたわけではありません

でしたから、ただ詠み人の音を聞きながら、詩を覚えて行ったの

ではないかと思います。

 ところが・・・中学校になってようやくこの詩が「大人の恋の歌」

なんだと理解するようになったのです。

 そうすると詩の意味を知ることがすごく面白くなって、これは

一体どんな意味なのかといった質問を父親にするようになりま

した。

 すると父親はあまり躊躇もせずに恋の歌を解説してくれたりして

いました。

 今考えると、父親の解説は何が何でも恋の歌に結び付けて、

解説していたような気がします。


 たとえば――

  心あてに折らばや折らむ 初霜の
          おきまどはせる白菊の花

――の詩を、宮中にはあまりに美しい人がたくさんいて、どの

女房に声をかけたらいいのか戸惑ってしまう――と言う意味だと

解釈していたのです。


 また

  ホトトギス鳴きつる方をながむれば、
          ただ有明の月ぞ残れる

――といった歌も、今、あの美しい人から声をかけられた気がして、

そちらの方を振り向いて見たが、もうそこにはその人の姿は

なかったという意味だぞという解説なのです。


 そのころ大人の人たちが

  難波江のあしのかりねの ひとよゆえ、
          みをつくしても 恋ひわたるべき

――こんな詩を「いい詩だね」などと言っていたのを、まだ

高校生になったばかりの私は、嫌な詩だなと言った気持ち

で聞いていました。

 また、

   由良のとを 渡る舟人 かじを絶え、 
           ゆくへも知らぬ 恋の道かな

――いった詩も大人に人たちは、「いいね」と話し合ってい

ましたが、私としては何と狂った歌だなという感想だったのです。

 ところがそれから数年も経たないうちに、こんな詩がいい詩だ

なと思うようになったのです。

 ようやく恋を知り始めたころは、今考えると、限りなく純粋

だったのかもしれませんね。


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