2016年06月15日
悔しさを味わうチャンス
最近、東大で、囲碁が授業に取り入れられているか、
または取り入れるようになるそうです。
一体何のためにか・・・というと、これは昨日に書いた
ような謙虚な気持ちを生み出すためだということらしい
のです。
東大に行ったような生徒は、やれば何でもできる、
自分が本気になったら負けるはずがないといった気持ち
を持っています。
このような生徒に・・・どんなに必死になっても決して
かなわないことがあるのだということを教えるために囲碁
を取り入れるというらしいのです。
私にはその真意はつまびらかではありませんが、
しかし、いかにもありそうな話だと納得しました。
私も囲碁をやるのですが、確かに、囲碁というのは、
普通の頭のいい人が、囲碁を早くからはじめた小学校の
1、2年生に負けることがあるのです。
しかもその負け方が、どっぷり大石を取られて負ける
ということが多いのです。
惜しかったけど負けたというのなら、少しは面目も立ち
ますが、大石を取られて負けたとなると、これは言うに
言えない悔しさです。
柔道でいえば、見事な一本背負いで、畳に大の字に
されたといった感じです。
この屈辱感を東大生が感じるのがいいことではないか
というのです。
つまり、どこかで謙虚さを身につけ、負けた屈辱感、
くやしさ等を味わう機会を与えて、人の気持ちに優しい
謙虚な人間を作ろう、と考えた結果だと思います。
たしかにこのような思いをする方が、その人はさらに
成長するのではないかと思います。

リトルアメリカ教育センター 中津校
地図はこちら
https://twitter.com/LittleAmericaON 大分校
地図はこちら

または取り入れるようになるそうです。
一体何のためにか・・・というと、これは昨日に書いた
ような謙虚な気持ちを生み出すためだということらしい
のです。
東大に行ったような生徒は、やれば何でもできる、
自分が本気になったら負けるはずがないといった気持ち
を持っています。
このような生徒に・・・どんなに必死になっても決して
かなわないことがあるのだということを教えるために囲碁
を取り入れるというらしいのです。
私にはその真意はつまびらかではありませんが、
しかし、いかにもありそうな話だと納得しました。
私も囲碁をやるのですが、確かに、囲碁というのは、
普通の頭のいい人が、囲碁を早くからはじめた小学校の
1、2年生に負けることがあるのです。
しかもその負け方が、どっぷり大石を取られて負ける
ということが多いのです。
惜しかったけど負けたというのなら、少しは面目も立ち
ますが、大石を取られて負けたとなると、これは言うに
言えない悔しさです。
柔道でいえば、見事な一本背負いで、畳に大の字に
されたといった感じです。
この屈辱感を東大生が感じるのがいいことではないか
というのです。
つまり、どこかで謙虚さを身につけ、負けた屈辱感、
くやしさ等を味わう機会を与えて、人の気持ちに優しい
謙虚な人間を作ろう、と考えた結果だと思います。
たしかにこのような思いをする方が、その人はさらに
成長するのではないかと思います。



https://twitter.com/LittleAmericaON 大分校



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