2014年08月22日
このままで勉強をやめたくない――両親の反対を押し切って…、
昨日の続きです。高校3年生になってから、リトルアメリカにはいり、『慶應にはいろうね会』を結成して、本格的な勉強を始めたものの、半年ちょっとの勉強では間に合わず、不合格は覚悟の上で、慶應義塾を受験、見事に敗れ去り、仲間と来年への誓いを立てたのでした。
私の思いは決まっていました。「だれにも文句を言われない
くらい勉強して、慶應に行こう」と思っていました。
しかし、私の両親は私が女だったからか、
「九州からは出さない」「地元の国立大学に行け」
「ぜったい浪人はさせない」と言いました。
私が慶應を受験したのも、もし駄目だったら、
地元の国立大学に行くという約束でやっと受けさせて
もらえたのです。
私は、国立大学にもし合格したりしたら、行かされる、
それなら実力行使しかない!と思い、
国立大学を受けに行って白紙で出してきました。
父は、入試当日、私を車で大学まで送ってくれました。
そのとき、「合格したらどのへんに部屋を借りるかな?」と
もう私が合格した後のことを喜んで考えていました。
私は車の中、「ごめんなさい、ごめんなさい」と心の中で
言いながら、ぽろぽろ泣いたのを覚えています。
父は緊張しているのかな、くらいに思ったでしょう。
試験場ではあまりに暇なので寝ていました。
試験監督から、「大丈夫ですか」と二回ほど起こされました。
わざわざ受けに来て寝る人はそうそういないだろうなあ
と思って、私はすごいことをしているなあと思いました。
国立大学の不合格通知がきたときは、どういう態度を
とるべきか悩みました。
でも、実際、親をだましてしまった、すごいことをしてしまった
と思い、ドキドキして何も言えず泣いてしまいました。
両親は私が国立大学まで落ちたことをものすごく怒りました。
そこは合格すると信じていたのでした。今思えば、私が
自分の意志で落ちてきたことをわかっていたんだろうと思います。
信じられないほど怒りました。
私は「もう一回だけやらせてくれ」と土下座して両親に
頼みこみました。
私には「浪人するのはつらそうだ」とかそういう気持ちは
いっさいありませんでした。
このままで勉強をやめることの方が何十倍もつらく悲しいこと
のように思えたのです。
そこで、私は家出しかないと思い、「浪人させてくれなければ
死んでやる」と言って家を飛び出しました…。
私はリトルの友達の家に転がりこみました。
両親はもちろんリトルに電話したんでしょう、結局リトルの先生が
その友達のうちに来てくれて、「帰りなさい」と言われたのでした。
私は家に帰り、畑仕事をしている父のところへおそるおそる
行きました。勇気を出して、「お父さん、ごめんなさい」と言ったら、
父はふりむかずに、「お父さんは自分の要求をとおすために
家出とか卑怯なことをする人は好かん」と言いました。
私はどうしたらいいかわからずにまた泣くばかりでした。

とりあえず、浪人することにはなったけれども、
両親の怒りはおさまらず…、私はお金のためというより、
少しでも反省している態度を、誠意を見せるために週に2日
ファミリーレストランでアルバイトをしながら浪人することにしました。
そこまでして、自分で望んだ浪人生活だったので、
勉強は本当に一生懸命しました。
リトルアメリカでの浪人は…、
リトルアメリカ教育センター

私の思いは決まっていました。「だれにも文句を言われない
くらい勉強して、慶應に行こう」と思っていました。
しかし、私の両親は私が女だったからか、
「九州からは出さない」「地元の国立大学に行け」
「ぜったい浪人はさせない」と言いました。
私が慶應を受験したのも、もし駄目だったら、
地元の国立大学に行くという約束でやっと受けさせて
もらえたのです。
私は、国立大学にもし合格したりしたら、行かされる、
それなら実力行使しかない!と思い、
国立大学を受けに行って白紙で出してきました。
父は、入試当日、私を車で大学まで送ってくれました。
そのとき、「合格したらどのへんに部屋を借りるかな?」と
もう私が合格した後のことを喜んで考えていました。
私は車の中、「ごめんなさい、ごめんなさい」と心の中で
言いながら、ぽろぽろ泣いたのを覚えています。
父は緊張しているのかな、くらいに思ったでしょう。
試験場ではあまりに暇なので寝ていました。
試験監督から、「大丈夫ですか」と二回ほど起こされました。
わざわざ受けに来て寝る人はそうそういないだろうなあ
と思って、私はすごいことをしているなあと思いました。
国立大学の不合格通知がきたときは、どういう態度を
とるべきか悩みました。
でも、実際、親をだましてしまった、すごいことをしてしまった
と思い、ドキドキして何も言えず泣いてしまいました。
両親は私が国立大学まで落ちたことをものすごく怒りました。
そこは合格すると信じていたのでした。今思えば、私が
自分の意志で落ちてきたことをわかっていたんだろうと思います。
信じられないほど怒りました。
私は「もう一回だけやらせてくれ」と土下座して両親に
頼みこみました。
私には「浪人するのはつらそうだ」とかそういう気持ちは
いっさいありませんでした。
このままで勉強をやめることの方が何十倍もつらく悲しいこと
のように思えたのです。
そこで、私は家出しかないと思い、「浪人させてくれなければ
死んでやる」と言って家を飛び出しました…。
私はリトルの友達の家に転がりこみました。
両親はもちろんリトルに電話したんでしょう、結局リトルの先生が
その友達のうちに来てくれて、「帰りなさい」と言われたのでした。
私は家に帰り、畑仕事をしている父のところへおそるおそる
行きました。勇気を出して、「お父さん、ごめんなさい」と言ったら、
父はふりむかずに、「お父さんは自分の要求をとおすために
家出とか卑怯なことをする人は好かん」と言いました。
私はどうしたらいいかわからずにまた泣くばかりでした。

とりあえず、浪人することにはなったけれども、
両親の怒りはおさまらず…、私はお金のためというより、
少しでも反省している態度を、誠意を見せるために週に2日
ファミリーレストランでアルバイトをしながら浪人することにしました。
そこまでして、自分で望んだ浪人生活だったので、
勉強は本当に一生懸命しました。
リトルアメリカでの浪人は…、



Posted by リトルアメリカ at 10:42│Comments(0)
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