2015年03月13日
父親の言葉で覚えているのは…
今日はGO先生からです。
先日、父親が亡くなりました。年齢は、100歳。後、2か月で101歳というときでした。すごく、我儘で、言い出したら絶対に引かない人でしたから、父と親交のあった方々の中には、不愉快な思いをされた方も多かったと思います。その点では、切にご容赦お願いしたいと思います。
父は、私にとっては・・・今までに、知り合った人の中で、どんな人より変わった人だった気がします。
といっても、すごく変人というのではなく、本人はいたって正常だと思っていたのだと思います。ただ、彼の物事に対する規矩が、普通の人とは変わっていたのです。だから、自分にとってはごく普通のことなのに、周囲の人にとっては眉をしかめるようなことを平気で行っていたのです。
私が小さいとき、いつも言っていたことは、「天皇が偉いわけではないぞ。天皇家に生まれれば、誰でも天皇になれるんだ。しかし、総理大臣には、努力しないとなれんのじゃ」という言葉でした。
そのころはまだ・・・戦争がようやく終わり、天皇が現人神ではなくなってから間もなくのころでしたから、こんなこと言って回ったら、ヒンシュクを買うのは請け合いだったはずです。
しかし、それでも父は平気でした。
みなさんの中には、奉安殿というのがあったということさえ知らない人が多いと思いますが、その頃は、小学校の校庭の端に、小さな築山があり、その上に小さな”ほこら”がありました。そこは鎖で囲まれていて、誰も入ることが許されなかったのです。小さい頃、私は、この場所はさぞかし高貴な場所であろうということは想像できていましたが、いったいどんな場所なのか、見当もつきませんでした。
今考えると、そこが奉安殿で、たしか天皇の写真が奉納されていた場所だったのだと思います。
こういった場所は今では壊されてなくなっていますが、当時はまだ厳然と存在していて、何か一種異様な趣を残していました。
そんな時代でしたから、学校でも毎日のように天皇陛下の話が出ていましたし、多くの人が尊敬と、畏敬の念を持っていたのです。
そういった雰囲気の中でも、父は「天皇のなかで、偉いのは天智天皇ぐらいで、後はみなお坊ちゃんだよ」と言っていたのです。
今、日本史を読んでみると、父の言う通り、天智天皇が並はずれてすぐれていたというのは納得できます。しかし、あえてそれを口に出していう人はあまりいなかったのだと思います。
また、「東大に行ったからといって、偉いわけではないよ。今までに東大出身の人間に何人もあったが、偉いと思う人間はそんなに多くなかった。いいか、権威に頭を下げるのはよせ。自分で見て、偉いと思うなら偉いのだし、どんな地位にあっても、自分で見て偉くないと思うなら、偉くないんだ。」とよく言っていました。
要するに、父は自分の目で物事を判断しろ。自分で正しいかどうかを判断する能力を身につけろと言っていたのだと思います。
父親の言葉で覚えているのは、この言葉だけといっても過言ではありません。
おそらく、子供に両親が、その姿勢を伝えようとしても、そんなに多くのことは伝えられないのだと思います。どんなに多くのことを自分の子供に言ったとしても、受け取る側の子供の方は、そんなに多くのことを受け取ることにはならないということなのだと思うのです。
だから、いつも言うことですが、たったひとつ、このことだけを伝えたいという信念を子供に伝える方がもっとも効果的だという気がします。

リトルアメリカ教育センター 中津校
地図はこちら
https://twitter.com/LittleAmericaON 大分校
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先日、父親が亡くなりました。年齢は、100歳。後、2か月で101歳というときでした。すごく、我儘で、言い出したら絶対に引かない人でしたから、父と親交のあった方々の中には、不愉快な思いをされた方も多かったと思います。その点では、切にご容赦お願いしたいと思います。
父は、私にとっては・・・今までに、知り合った人の中で、どんな人より変わった人だった気がします。
といっても、すごく変人というのではなく、本人はいたって正常だと思っていたのだと思います。ただ、彼の物事に対する規矩が、普通の人とは変わっていたのです。だから、自分にとってはごく普通のことなのに、周囲の人にとっては眉をしかめるようなことを平気で行っていたのです。
私が小さいとき、いつも言っていたことは、「天皇が偉いわけではないぞ。天皇家に生まれれば、誰でも天皇になれるんだ。しかし、総理大臣には、努力しないとなれんのじゃ」という言葉でした。
そのころはまだ・・・戦争がようやく終わり、天皇が現人神ではなくなってから間もなくのころでしたから、こんなこと言って回ったら、ヒンシュクを買うのは請け合いだったはずです。
しかし、それでも父は平気でした。
みなさんの中には、奉安殿というのがあったということさえ知らない人が多いと思いますが、その頃は、小学校の校庭の端に、小さな築山があり、その上に小さな”ほこら”がありました。そこは鎖で囲まれていて、誰も入ることが許されなかったのです。小さい頃、私は、この場所はさぞかし高貴な場所であろうということは想像できていましたが、いったいどんな場所なのか、見当もつきませんでした。
今考えると、そこが奉安殿で、たしか天皇の写真が奉納されていた場所だったのだと思います。
こういった場所は今では壊されてなくなっていますが、当時はまだ厳然と存在していて、何か一種異様な趣を残していました。
そんな時代でしたから、学校でも毎日のように天皇陛下の話が出ていましたし、多くの人が尊敬と、畏敬の念を持っていたのです。
そういった雰囲気の中でも、父は「天皇のなかで、偉いのは天智天皇ぐらいで、後はみなお坊ちゃんだよ」と言っていたのです。
今、日本史を読んでみると、父の言う通り、天智天皇が並はずれてすぐれていたというのは納得できます。しかし、あえてそれを口に出していう人はあまりいなかったのだと思います。
また、「東大に行ったからといって、偉いわけではないよ。今までに東大出身の人間に何人もあったが、偉いと思う人間はそんなに多くなかった。いいか、権威に頭を下げるのはよせ。自分で見て、偉いと思うなら偉いのだし、どんな地位にあっても、自分で見て偉くないと思うなら、偉くないんだ。」とよく言っていました。
要するに、父は自分の目で物事を判断しろ。自分で正しいかどうかを判断する能力を身につけろと言っていたのだと思います。
父親の言葉で覚えているのは、この言葉だけといっても過言ではありません。
おそらく、子供に両親が、その姿勢を伝えようとしても、そんなに多くのことは伝えられないのだと思います。どんなに多くのことを自分の子供に言ったとしても、受け取る側の子供の方は、そんなに多くのことを受け取ることにはならないということなのだと思うのです。
だから、いつも言うことですが、たったひとつ、このことだけを伝えたいという信念を子供に伝える方がもっとも効果的だという気がします。



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