2015年09月13日
軍人が大きな力を持っていた時代のこと ~どのように終戦を導いたのか~
鈴木貫太郎内閣の『終戦を決意する閣議』は紛糾を極めました。
陸軍大臣の阿南惟幾と海軍大臣の米内光正とが、激しく対立し、
内閣の意思統一が達せられないのです。
総理の鈴木貫太郎はやむを得ず、天皇に裁可を仰ぐべく、
御前会議を開きます。 これによって終戦が決定するのです。
天皇はさらに、自らこの決定を国民に伝えるべくマイクの前に立つ
と述べ、その録音盤が作られます。
天皇が直接に国民や全陸軍に伝えなければ、この決定に
不服なものが後を絶たないであろうという懸念からのことだった
のです。
たしかに、今まで勝つとばかりを信じてきた人々にとっては、
敗戦などまったく受け入れられなかったことだったのです。
阿南陸軍大臣は、終戦決定後、官邸に戻って、割腹自殺を遂げます。
「一死をもって大罪を謝し奉る」 という遺書を残し、全陸軍に この決定に
違反しないようにというメッセージを送ったのです。
しかし、近衛師団の中の一部が反乱を起こし、天皇が吹き込んだ
録音盤を奪い、放送を中止させ、戦争を続行しようと、抵抗します。
その一部が森近衛師団長を殺害し、偽の命令書を作って、
連隊を動かそうとするのです。
これを聴いた東部軍管区司令官田中静壱大将は、
すぐに鎮圧を命令します。
こうして日本の終戦が決定されていくのです。
この次第は、以前『日本の一番長い日』という題名で、映画に
なりましたし、最近、リメイクもされました。
この映画を見ると、いかに多くの人が、命をかけて終戦を導いたかが
わかります。
前述の鈴木貫太郎も死をかけて終戦に臨み、阿南惟幾陸大臣も自決し、
田中静壱大将も、その後自決しています。
森近衛師団長も殺害され、多くの人の命が犠牲になってようやく終戦が
決定されたのです。
現在の平和は、これらの犠牲のもとに達成されたのだということを
忘れてはなりませんね。

リトルアメリカ教育センター 中津校
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https://twitter.com/LittleAmericaON 大分校
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陸軍大臣の阿南惟幾と海軍大臣の米内光正とが、激しく対立し、
内閣の意思統一が達せられないのです。
総理の鈴木貫太郎はやむを得ず、天皇に裁可を仰ぐべく、
御前会議を開きます。 これによって終戦が決定するのです。
天皇はさらに、自らこの決定を国民に伝えるべくマイクの前に立つ
と述べ、その録音盤が作られます。
天皇が直接に国民や全陸軍に伝えなければ、この決定に
不服なものが後を絶たないであろうという懸念からのことだった
のです。
たしかに、今まで勝つとばかりを信じてきた人々にとっては、
敗戦などまったく受け入れられなかったことだったのです。
阿南陸軍大臣は、終戦決定後、官邸に戻って、割腹自殺を遂げます。
「一死をもって大罪を謝し奉る」 という遺書を残し、全陸軍に この決定に
違反しないようにというメッセージを送ったのです。
しかし、近衛師団の中の一部が反乱を起こし、天皇が吹き込んだ
録音盤を奪い、放送を中止させ、戦争を続行しようと、抵抗します。
その一部が森近衛師団長を殺害し、偽の命令書を作って、
連隊を動かそうとするのです。
これを聴いた東部軍管区司令官田中静壱大将は、
すぐに鎮圧を命令します。
こうして日本の終戦が決定されていくのです。
この次第は、以前『日本の一番長い日』という題名で、映画に
なりましたし、最近、リメイクもされました。
この映画を見ると、いかに多くの人が、命をかけて終戦を導いたかが
わかります。
前述の鈴木貫太郎も死をかけて終戦に臨み、阿南惟幾陸大臣も自決し、
田中静壱大将も、その後自決しています。
森近衛師団長も殺害され、多くの人の命が犠牲になってようやく終戦が
決定されたのです。
現在の平和は、これらの犠牲のもとに達成されたのだということを
忘れてはなりませんね。



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